パチンコ昔話です。パチンコの歴史は長く、しかもこの40年くらいですごく変化を遂げました。
その間にあった出来事を徒然に綴っていく、気まぐれ不定期記事です。
同じ時代を過ごした方にはきっと懐かしく、ご存じない方には物珍しいお話になるかと思います。
今回は平台と一発台の話。打ち止めってなんだ? という内容をメインに。
最近のパチンコ台にもいろいろ種類はありますが……
大昔のパチンコは大きく分けてふたつ、平台と一発台。
フィーバー台というのはその少し後だったと記憶しています。
パチンコ昔話、平台と一発台。打ち止めってなんだ?
今のパチンコはそれぞれの台に出玉の制限はありません。
当てることが出来る限り出せますし、同じ台に終日粘るのも自由。
でも、昔のパチンコには平台にも一発台にも「打ち止め」というルールがありました。
同じ人が1日の中で何度も同じ台を打つことも、基本的に出来ませんでした。
ちなみに先日の昔話はこちら。スロット中心です。
平台と一発台
まず平台と一発台について。
平台というのは、後に出て来るフィーバー台や一発台に対しての呼び名ですね。
1981年以降なら羽モノ機を指す呼び名ってことでいいのかな。
それまでのパチンコは、いわゆる「チューリップ」の開閉で出玉があり、その玉をぼちぼちと増やすものでしたから。
平台~羽モノ機
1981年に登場した「ゼロタイガー」を皮切りに、パチンコ台はただチューリップが開閉するだけのものから羽モノが主流となりました。
羽モノとは文字通り、台に羽根のついた役モノがあり、特定のポケットに入賞すると1回ないし2回、羽根が開閉して、その間に中部のVに入賞すると一定回数、羽根が開閉を続けるというもの。
ゼロタイガーを例に取ると開閉は当初は18回開放、最大8ラウンド継続、入賞数に制限が無く1ラウンドで15~20個の入賞も可能でしたが。
当然、すぐに規制がかかり、1ラウンドで10個入賞した場合は羽根の開放回数にかかわらず終了するようになりました。
実に様々な羽モノが登場しましたね。
有名どころだとビッグシューターとか、玉ちゃんとか? でも、このへんはだいぶ新しい。
私が好きだった台は両側の羽根にバニー姿の女の子が立ってたやつ。名前は忘れたw
もう少し新しいところだとブンブン丸。ブンブン丸の頃にはもう、平台に打ち止めはなかったね。
一発台
一発台は文字通り、一発入賞さえすれば一定出玉が約束されるという台。
特定の入賞口へ玉が一発でも入賞、もしくは大当たりの権利が発生すれば、台の定める規定数あるいはホールが決めた出玉を獲得することが出来ました。
しかし、その入賞がなかなかの道のり。
打てども打てどもまったく入らないこともあるのです。
羽モノの台頭より少し後に登場したデジパチによって、一発台も様々登場しましたね。
チューリップメインだった台はデジタルを絡めたものが主流となってかなりの博打仕様となりました。
私も、ハンドル部分がレバーになってる1回交換のアレパチに夢中になった頃がありましたね。
相性良くてなかなかいい思いをさせてもらいましたが、射倖性の強さからか、やがてホールから消えちゃった。
アレジンやエキサイトといった台が有名どころでした。
打ち止めとは?
「打ち止め」とは、パチンコ台の大当たりの出玉を制限するものです。
打ち止めとなった台はその後、終日誰も打てない場合と、再び「解放」されることもありました。
1度打ち止めとなった台をまた打てるようになったものは「解放台」と呼ばれ、更に打ち止めとなることも。
しかし、同じ人はその日打てなかったり、打てても回数に制限があったりと、ホール毎にルールがありましたね。
打ち止めの玉数
昔すぎてウロ覚えで申し訳ないけど、平台で2000~3000発、一発台で1万発くらいだったんじゃないかなと。
以前の記事で話題に出た、パチンコ用の小さい箱。
これ、カチ盛りで1000発くらい入ったのではなかったかな。
平台だと台の前にこの箱が横に3つも並べば打ち止めにされた(うちの地元)。
一発台の人は手元に全部置けないので足元に置いたりしてたね。
そのうち、ホールが独自に大箱を準備して、小箱から移すように変わって。
ドル箱が登場したのはその後でしたね。
パチンコ台の進化
パチンコに椅子が付いた自体、40年くらい前ではなかった?
大昔は当たり前に立ち打ちでしたね。じーっと座りっぱなしはなかった。
変わったのはフィーバー機が出始めたころ? それでも当時は1回交換が主流だった気がする。
そうそう、パチンコのハンドルも私が子供の頃は手打ちだったよ。
手打ち
誤解なきよう言っておくと、私がホールに出入りするようになった頃にはハンドルは電動でした。
でも、子供の頃、オヤジやおじさんがくれた戦利品のチョコレートには随分な労力が要ったのではないかなと。
手打ちのパチンコっていうのは、こういうやつです。
右下の短い棒に手を置いて、親指で長い方を弾いて玉を飛ばして、入賞させていたんです。
私が子供の頃は入場しても今ほど咎められなかったので、この不思議な装置に触った記憶があります。
バネのところに玉が2個溜まってしまったり、うまく思うところへ飛ばなかったのを覚えてるんですよ。
大人が立って打つ仕様だったので、手だけやっと届く感じでしたしね。
電動ハンドル
電動ハンドル考えたのって誰なんだろう?(Dr中松という噂も)
どこのメーカーも使っていたから特許は取ってなかったのか、あるいは取っていて考えた人は大儲けだったのか。
いずれにしても、このハンドルの発明によってパチンコが大きく飛躍したのは間違いない。
長時間打てるようになってから、座って打てるように椅子が付くようになった。
もし電動に変わってなかったら長くは打てず、きっと椅子はなかったでしょうし。
ハンドルの進化による効果は大きいですね。
パチンコ台の変貌
パチンコ台も、液晶が付いてからいろいろと変わりました。
チューリップやポケットといった入賞口の付いたものから始まり、デジタルが導入されて。
液晶が付いたのはそのあとですね。麻雀物語が最初?
権利ものってのもあったな。
いずれも平成に入ってからだったのではないでしょうか。
平成自体、すぐ終わったとはいえ30年はあるからねw
平成の間だけでもパチンコ台はすっかり進化を遂げたと言っても過言ではないかも。
特に1990年代ね。CR機の登場といい、波乱に満ちてました。
ちなみに、私はCRバトルヒーローズあたりまではパチを打ってましたが、以後はスロットをよく打つようになりました。
パチンコを打たなくなった理由は、スロットのが面白くなったのもあるけど。
なんといってもパチンコ台のリーチ演出がうっとうしくめんどくさくなったから。
あと、生活の変化ですかね。パチンコって時間かかるんですよね。当たっても当たらなくても。
消化の早さとヤメ時がきっぱりしているところがよくて、スロットをよく打つようになりました。
最近のパチンコ
そんなわけで最近はめっきりパチンコは打たないのですが、最近の台ってすごいですね。
めちゃ派手になってて、役モノが台の盤面の中だけじゃなく外にも付いてるよね。
頭上に出っ張っている役モノには頭をぶつけないようにしないといけなかったり、データランプが見えづらかったり……
たいへんみたいwww
参加型?
パチンコといえば、昔はただじっと打つだけだったものが、ボタンやらレバーやら付いて……
どんどん参加型に?
でもさ、スロットのボタンとはちょっと違って、押しても押さなくても結果は同じという。
なんかそういうの、冷めちゃうんだなぁ、私。
押しても押さなくてもで思い出したけど「CR名画」って台でね。
リーチ中にタイミング良く台を叩くと当たるという攻略法が横行しました。
もちろん、オカルトですよ。初代海物語の鍵穴押さえバリにwww
ある日、ちょっとした空き時間に名画を打っていたのですが。
もちろんじっとリーチを待っていたら……
隣のおばさんの手が伸びて来て、上皿の左端の下部を手のひらで持ち上げるように……
どついた。
で、これがまた、始末の悪いことに当たったんです。
おばさんのドヤ顔を今でも忘れません……www
ちなみにそのおばさん、集団で来ていて、おにぎりやおはぎを仲間内で回して食べてました。
きっと一日中居たんだろうな~ ちょっとしたプロ軍団でしたよ。
リーチ演出がうっとうしいという話を先にも書きましたが、一頃、リーチをカット出来るパチンコってありましたよね。
あれ、今こそどの台にも付いてて欲しいよね。いろいろな事情で出来ないのかもしれないけど……
今だって長い長いリーチの末に外れるんでしょ? ふざけんなだよね。
最後に
昔のパチンコは広い意味で面白かった。
書きながら、いろいろと良かったよなぁとしみじみ思いましたよ。
今のパチンコも好きな人もいるのかもしれないけど……
打ち止めがあった頃のパチンコはそれなりに生活に優しかったのかなと思う。
金銭面でも時間面でもね。
今のパチンコは閉店にならない限り、あるいは打てるお金がなくならない限り、いつまででも打てるでしょ。
はい、ここまで、と線をひいてくれた打ち止めというルールがあった頃は、「パチンコ依存症」なんてなかったはず。
パチンコもスロット同様、射倖性云々で規制がどんどん厳しくなっているようだけど……
打ち止め導入で全て解決しない? まぁ実現はムリでしょうけども。
進化しすぎて、パチンコがちょっとだけ遊ぶ大人の遊戯だった頃にはもう戻れないよね。
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